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こんな日は早く寝るに限る。

今日朝からこれまでの出来事。
①まだ雪が残っていて大変な中、出かける。
 着いた先でかなりイラつくことを言われ、
 さすがにイラッとして言い返す。
②出先から駅までバス&道路が激混み
 +事故防止のため遅いので、
 1時間ほど雪の残っている道なども含め歩く。
 かばんが重い。。
③用事があったので途中下車。
 改札で明らかに前の人のスイカがおかしいのに、
 前の人はそのまま改札を出られたので、行ってしまう。
 おかげで私のせいで改札が渋滞、
 みたいな空気になり、いやな顔をされる。
ついていない日なんてそんなもんで、
大体何をやってもうまくいきませんね。
正直かなりイラッとしましたが、
悪くもないほかの人にあたるのなんて論外。

こんな心に余裕がなくなりがちのときに
人にやさしくできるかどうかがその人の真価。
だからまあ、「ついてねーなー今日は」
とちょっと愚痴りつつ、早く寝るのが一番ですね。
まあ、早く帰れないんですけどね。
まだまだ仕事あるので。。
みなさんもいらいらせず、まあがんばりましょう。
また雪降るとかいう噂ですが、さすがに勘弁してほしいもんです。
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とてもとても

悔しい。
ただただ悔しい。
仕事でうまいこと行かず。
自惚れがあったとも思わないけれど、
もっとうまくできなかったのか、
そんなことを考えます。
この悔しさを胸に。
徳川家康は屈辱を忘れないために
屈辱の場面を絵に描かせたなんて逸話がありますね。
そんな大層な人と同じ、などと言うつもりはないですが、
今日、この悔しさを刻み込んで。
もっともっと良い自分になれるようにがんばりたい。
「あー」って思いっきり叫びたいけど近所迷惑なので。。
こんなところで発散しつつ。
明日からは切り替えてがんばりたいと思います。

耐え忍ぶこと

人生で大切なことは何か、と問われたとき何と答えますか。
私はまず1番は「思いやり」。
まあ、これはそれを大切に生きていますので当然です。
今日書きたいのは2番目に大切なこと。
それは「忍耐」です。

どんなに理不尽だろうが、耐える。
納得いかないかもしれないが、耐える。
ときには声をあげる必要も当然ある。
そういった場合は例外だけれども、基本はやっぱり耐える。

挑発に乗ってはいけない。
そこはクールに淡々と。
最終的に「倍返し」すればいいんです。
それが一番痛快ですから。
ドヤ顔していた相手方を結果で見返せばそれで十分。

正直申し上げて、まあ、イライラすることはあります。
私はたぶん人よりもそういったことは少ないと思っていますが、
それでもイライラすることはある。
「なんだ!お前!」と声をあげたくなるときもあります。
だが、それはいけない。
「相手をわざと怒らせてボロを出させる」そんなスタイルの弁護士も多いです。
個人的にはそういったことは嫌い。
相手がうそをついているなら、淡々と矛盾をついていけばいい。
怒らせるとか、そんなテクニックに頼るのではなく、
もっと事案に真摯に向きあって、
矛盾を見つけたりすることに努力する弁護士でありたいと思います。

さて、私が好きな歌はベット・ミドラーの「The Rose」。
非常にざっくりと意訳してしまうと、
「寒い冬に耐えなさい。そうすれば春にはきれいなバラの花が咲くから。」
そんな感じの歌。
たぶんタイトルは知らなくても一度は聞いたことがある歌だと思います。
結構カバーとかされてますし。
この歌にもあるように、とにかく耐え忍ぶこと。
それをモットーにしています。

「あぁー!!」と思っても一度落ち着いて、怒らない。
我慢は体に毒だけれども、それでも我慢しないといけないこともたくさんある。
そんなときは信じること。
きっと結果は出ると信じること。
何かを達成する道のりの途中には当然苦しいこともある。
楽なこともある分だけ、苦しいことはある。
でも、最後によかったと思えるのは、その苦しみを乗り越えたからこそ。

山の頂上から撮った写真を見ること。
ヘリで山の頂上に登ること。
歩いて山の頂上に登ること。
どれだって「目に映る」景色は一緒かもしれないけれど、
「見えている」景色はきっとちがう、そう思っています。
自分の足で頑張って登った人にしか見えない景色はきっとある。

だから、今日も我慢だ。
きっと見返してやる、という熱い気持ちを胸に抱きつつ。
そして、適度にストレスも解消させつつがんばろう。
「目指せバラの花!」精神で。

こんなことを書きつつ、今日のイライラを何とかおさめてます(笑)。
ストレス解消にお付き合いいただきありがとうございました。
がんばろーっと。

ほんもの

最近の自分のテーマは「ほんもの」を求めるということ。
小手先でとりつくろったものなどではなく「ほんもの」。
それがほしい。
以前も書いたことがあるのですが、大事なのは本質であり、
小手先のテクニックなど「ほんもの」の迫力の前には何の意味もないと思います。

ただうまいだけの歌に感動するか?といわれると、
一応感動はするかもしれない。
でも、本当に心が震えるような歌というのは、
へたくそでも想いが十分にこもったものだと思う。
今のご時世歌がうまい人なんてたくさんいますが、
下手な歌手でも売れている人もいれば、
うまくても売れない人もいるでしょ。
それはきっと、「ほんもの」じゃないからなんじゃないかな、
なんてことを考えています。

そんなわけで、大事なのは本質です。
テクニックなんてものは便利であってもそれがすべてではないでしょう。

さて、なんでこんなことを書こうと思ったかということですが、
最近仕事をしていて思うことがありまして。
ちょくちょく和解交渉の場でドヤ顔で「ふっかけてくる」代理人がいます。
おそらく、最初はとにかくふっかけてだんだん歩み寄らせる、
そうして高い額で和解する、
それが和解交渉のテクニックなのだよ、フハハハハ!
フハハハハ!なんてのは大げさでしょうが、
そんなこと思ってるんじゃないかと思います。
そういうことをしてくる人はえてして自分に自信たっぷりって感じの人が多いので。

で、やられた側なんですけどね、非常に不快なんですよ、これ。
代理人の私はもちろん、依頼者の方が特に不快に思われることが多いようです。
「たたき売り」みたいなことしやがって!ふざけんな!って感じですね。
で、こういうことをされると、まとまる話もまとまらないんです。
せっかくいろいろこちらも依頼者の方に説明をして、
判決をもらうよりもよかったりしますよ、なんてことで何とか説得しているのに、
こういったやり方でぶち壊されてしまいます。
だったら和解なんて応じないよ!とへそを曲げられてしまいます。

私はこれは悪しきテクニック論のせいだと思います。
確かに、和解交渉の基本として最初からギリギリのラインを出すべきではないでしょう。
ただ、そこからあまりにかけ離れた数字を出すのはどうでしょう?
心理学的には100万が30万になったらそりゃ安い、となるでしょうが、
うまくいけばラッキーみたいなことをしてくる姑息な人という印象はぬぐえません。
最初から和解をまとめる気がないなら別にかまいませんが、
そういうことをされた相手方の気持ち、そういうことを考えたことはないのでしょうか。
また、よく思うのですが、相手方の立場に立って
(もちろん対立する相手方なので完全に同情する必要はないでしょうが)
どこまでなら譲歩できるか、そういったところに思いを巡らせる必要が
あるのではないのでしょうか。
なんでもかんでもテンプレート的に小手先のテクニックを使う、
そのようなことが良いことだとは、私は思いません。

さて、本題へ。
何が言いたいかというと、テクニックはしょせんテクニックなのです。
マニュアル本にあることを読んでわかったつもり、できたつもりになってはいけない。
私は後輩に司法試験の勉強の指導をしたりすることもあります。
そのときはせっかくの機会なので答案作成のテクニック的なことも教えます。
私自身、受験生時代は知りたかったことですから。
ただ、毎回「しょせんテクニックはテクニックだよ」と
口を酸っぱくして伝えています。
ちゃんと法律論を理解していれば、小手先のテクニックなんかなくたって、
司法試験に受かる答案は書けるんです。
ただ、やっぱり私を含め、凡人はテクニックをも駆使していかないと
頭のよい人たちに対抗できなかったりするのでテクニックをも利用します。

だけど、それがすべてではいけない。
テクニックには頼るけれども、
常に「ほんもの」を追い求める姿勢をなくしてはいけないと思います。
要は使いようだと思います。

以前、反対尋問についての書籍を読んだところ、
テクニックよりもちゃんと事案と向き合い、しっかりと理解していること、
それが一番大切だ、と書いてありました。
「こう言わせて、こうして…」そういったことももちろん大切です。
でも、事件記録をしっかり読んでさえいれば、
穴が開くほど読んでいれば、証言者の供述の不自然さや不整合にすぐ気が付きます。
私自身、このことを実感したこともあります。

最近は、知りたいことがすぐわかりますよね。
そのことを否定する気はないし、便利な時代だと思います。
でも、だからこそ、地道に努力して着実に実力をつけること、
「ほんもの」を追い求めること、そういった姿勢が大切だと感じています。
器用できれいな言葉よりも、
不器用でかっこ悪い言葉のほうが感動したりすることもあるはずです。

実はこんなことを考えている理由は、私自身が不器用だったりするからです。
どうにも器用にできないんですよね、いろいろなこと。
つい器用な人をうらやましく思ったりしちゃいます。
そんなときに、不器用でも「ほんもの」が大切だ、
しっかり想いを胸に抱いてがんばろう、そうすればきっと大丈夫、
そんなふうに自分を励ましていたりします。
なんかうまくいかないなーってときも、しっかり地に足つけてがんばりたいものです。

良いことだ。

国選事件の弁護をしておりまして。
内容はまあ、いわゆる重大事件、というわけでもないものです。

被告人の方は「言いたいことがある!」と息巻いていらっしゃったので、
私としては、その言い分を前提に法律構成をし、弁護活動をしてきました。
そして、先日弁論期日がありました。
事件の内容からすれば、そこまで書く必要があるのか、
と思われてしまう内容なのかもしれませんが、
結構長い書面を作りまして、期日に臨みました。

私としては普段通りの活動をしたという感覚でした。
しかし、その後被告人と話したところ、
「あれだけ言ってくれてありがとうございました。すっきりしました。」
と感謝の言葉をもらいました。

その時の率直な感想としては、「え?」って感じ。
より具体的には「別に感謝されるようなことしてないけどなー」ってもの。
で、よく考えてみると、きっと自分の中で
「どんな事件でも最善を尽くす」という姿勢が身についている証拠では、と思いました。

受任した以上、どんな事件であっても今の自分の最善を尽くす、
当初はそれを心に決めて頑張っていました。
最近は、「心に決める」なんて大げさなことはなく、普通にやってます。
そして、「普通」にやった結果が、「あれだけやってくれて」と評価される。
それはつまり「最善を尽くす」ことが自分の中で当たり前になっている、ということかなと。

意識しなければできなかったことが普通にできる、それはとてもいいことじゃないかな。
そんなことを思い、ちょっとうれしくなりました。
この気持ちを忘れずにがんばらないとね。
何事も一生懸命がんばれば、いいことあるもんです。
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