スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

終わりなき道のり

人生っていうのは…
なんて書くと大げさな話になってしまいそうですが、
私が思うところ、ある目標のようなものがあって、
ただ、その目標というのは決してゴールではなく、
ずっと終わることなく、死んでもたどり着けないようなところにあるもの
だと思っています。

例えば、「こういう人間になりたい」という目標があって、
私であれば「人に、優しく」そんな人間になりたい、というものになるのでしょうが、
いつか自分の目標とする人間になれる、そんな日は人生が終わるまでの間に、
きっと来ることはないと思っています。
いくつになっても試行錯誤をして、失敗もたくさんして、
がんばらなきゃな、って思い続けて、
そうしているうちにいつか人生の終わりを迎える、
そんな感じなのかな、と漠然と思っています。

冒頭で「ゴールではない」といったのはそういう意味です。
私はかつて、とても深く悩んだことがあります。
まだ10代のころで、思春期だったのもあり、
今思えば大したことではないことなのかもしれませんが、
私にとっては非常に重大な出来事に感じていました。

その時はただただつらく、努力すれば「ゴール」というものがあると信じていました。
努力をし続けていれば、いつかつらいこと、しんどいことがない日が来る、
そんな風に考えて頑張りました。

そんな中で、自分なりにある一定の考えにたどり着き、
そのことが「絶対に正しい」と信じ、努力をしてきました。
しかしまあ、世の中に「絶対」などというものは当然ないわけです。
当然のごとく壁にぶつかり、
自分のことを否定するようなひどいことを言われたこともありました。
そんな中で、気づいたのです。
生きていく中で「ゴール」すなわち「終わり」なんてないんだなって。
いつか雨は止むけれど、またいつか雨は降ってきます。
永遠に晴れが続くなんてことはありえない。

「雨」の原因は、ただただ理不尽なこともあるけれど、
自分がいつの間にか傲慢になり、
周囲に耳を傾けなくなったから、というものもきっとあるでしょう。
むしろそちらの方が多いのではないかと思います。

だからこそ、今の自分が「最終形」で「終わり」なんてことはなく、
いつまでたってもたどり着けないゴールに向かって
不断の努力をする、それが人生なんだろうなって最近は思っています。
自分の目標としている方向にちゃんと向かっているのか、
不断に針路を確認し続ける。
これで十分、もう終わり、と考えていたら、
きっと、いつの間にか進路が全く違った方向になってしまっていた、
なんてことになってしまいます。
だから、そうならないように、不断に努力をし続ける。
常に今の自分でいいのか、自問自答し続ける。
いやはや、しんどいですね。
本当に。
でも、選択肢としては、とにかく頑張り続けるか、
あきらめてだらだらと時を過ごすか、
その2つしかないわけです。

じゃあ、後者、なんて気持ちにもなれないし、
結局辛いことを繰り返していくしかないんだろうな、
なんて考えています。

さて、若干話を変えて、本当に書きたかったのはここから。
前置きがだいぶ長くなってしまいましたが、
そんなわけで、毎日頑張らにゃ、と思っているのですが、
まあ、常にフルスロットル、なんてのは無理なわけです。

だから、「こうあらねば」という自分はもちろんあるのだけれど、
そうできないからといって、自分を責めない。
ゆっくり成長できればそれでいい、そう考えて自分を許すことにしています。
こんなことを書いたのには理由があって、
昨日ちょっといろいろあって、今結構イライラというかモヤモヤというか、
すっきりしない感情を抱えています。
簡単にいうと、「何気ない一言に対して、非常に腹が立った」
それだけのことなのですが、腹が立った原因は、
自分が善意で「こうしてあげよう」と思ってやったことに対して、
その思いも酌まずにパッときつい一言を言われたからです。
私の中では、「相手が望んでいるかはわからないが、こうしてあげたほうがいいかな」
と思ってやったこと。
まあ、ただのおせっかいなのです。
それに対して、ちょっときつい一言を言われたので、
内心「なんだよ、こっちは君のことを想ってやったのに」
と思ってしまったわけです。

それが筋違いなのは十分に理解しています。
ただの善意の押し付けだということももちろん。
ただ、煮え切らない。
そして、そういうことを頭で理解していながら、
イライラしてしまう自分の小ささにも腹が立つ。
そんな感情でしょうかね。

でも、私はそんな自分を許そうと思います。
自分の小ささをまずは受け入れて、
いつかそういうことで怒らない人間になりたいなと思っています。
今はちょっと無理なんですけどね。。

そんなわけで、目標は高く。
でも道のりは遠いし、ずーっと終わりなく続いているわけだし、
たまには自分を許しつつ、ゆっくり成長できればと思っています。
スポンサーサイト

優しすぎる君へ

最近非公開ながらいくつかコメントをいただきました。
そういうのを見て思うことがありますので、つらつらと書いていければと思います。

最近、お亡くなりになられた高倉健さんではないのですが、
私は、とても不器用なタイプの人間だと思います。
そして、私の記事に深く感銘を受けてくださる皆様もきっと、
同じように不器用で、何かにつまづいていて、
ひょんなことからこのブログを見つけて、という方なのかな、
と勝手に考えています。

さて、少年たちと一緒にしたら「もう大人だよ!」と言われてしまいそうですが、
最近終了した少年事件の際に私の方で少年に話したことがあります。
まあ、大体少年事件があると話すことなのですが、
それは、「あせる必要はないよ」ということです。
何かに躓いたりしている人の多くは、今の自分をどうにかする、
今の自分を大きく変えて何とかする、そういったことばかりを考えていると思います。
実際私もそうでした。

世の中にはそういったことがうまくできる器用な人もいるのでしょうが、
そう、うまくいくものではないです。
単純に今をどうにかしたいから、気持ちばかり焦っているだけなんでしょうね。

私は、高校生のころにある出来事で大きくつまづいて、
そのときは「とにかく自分を変えなきゃいけない」と思っていました。
でも、人間、そう簡単には変わりません。
当時は、私の中で、未熟ながら「これが答だ」というものを見つけ、
そのために頑張ることを決意しました。
そして、そのために頑張りましたが…まあいろいろありまして、
今ではそのときの自分の独善さや独りよがりな考えに苦笑い、といった感じでしょうか。

唐突ですが、私は、人間は自分の力で「世界を変えられる」と考えています。
それはあくまで自分の周りの世界ですが。
まずは、自分を変えることから。
自分の身近な人に対して、思いやりが欠けていないか、
ちゃんとその人と向き合えているだろうか、そういったところを自問自答し、
自分なりに努力をしましょう。
そうしたら、周りの人のあなたへの態度や感情が変わります。
反対の立場に立ってみれば簡単なことで、
誰かにやさしくしてもらったならば、その人に対して何とかお返しを、
と思うのが人間です。
中にはそうじゃない人もいますけどね。

そして、それを身近な人からどんどん知らない人にまで範囲を広げていけばいいと思います。
私はもうおっさんになりつつありますが(そこそこ若いですけどね!)、
バスの降車時には「ありがとうございます」と一言言っています。
「子どもか!」なんて思われそうですが、気にしません。
私の一言で心が晴れやかになるのかもしれないのですし、
実際、しっかり乗せてもらったわけで、お礼を言うには十分な理由があるのですから。
また、嫌なことがあっても関係ない人には八つ当たりしない、とか、
そういったことも気を付けています。
そういうことを繰り返していると、だんだんと自分の周りの人が自分に優しくしてくれるようになりますし、
助けてくれるようになります。
また、不思議なことに自分のことを認めてくれるような人たちと出会う機会も多くなります。
私は今、非常に周囲の方々に恵まれた環境にいます。
今思うことは、一つ。
あきらめずに頑張ってきてよかった、ということです。
正直、もういやだ、もう無理だ、そう思ったことはたくさんあります。
でも、「人に優しくしていればきっと未来は拓ける」
そう信じてがんばってきました。

そしてようやく、今のような状況に巡り会えました。
人生は長いです。
「今の困難」を理由に何かを決めつけてしまうにはあまりにもったいないほどの時間があります。
だから、大切なことはあきらめないこと。
あとは、自戒を込めてですが、「自分が絶対に正しい」
なんて独りよがりな考えは捨てること。
常に、「今の自分は思い描く自分に近づけているのだろうか」
そう自問自答すること。
私にとってのそれは、「今の自分は『人に優しく』できているのだろうか」
それをずっと考え続けること。
今回はこうしたけど、本当はこうした方がよかったんじゃないか、
実は人のためとか言いつつただの自己満足だったんじゃないか、
そんなことを考えるようにしています。

と、まあ、ずいぶん自分が努力家みたいな言いぐさですが、
大事なことなのでもう一回言います。
人生は長いです。
だから失敗をしたって構わない。
失敗したら、とにかく全力で謝る。
そうしてもう一回やり直せばいい。
謝って許してくれないようなら、「謝ってるのに心の狭いやつめ!」
と思って気にしない、私は実はそんな気持ちでゆるゆる生きています。
そんなわけで私自身は全然人間できていません(笑)

脱線した話を元に戻して。
想像してみてください。
お金で寄って来た人はお金が無くなれば離れていきます。
でも、あなたの優しさでつながることとなった人は、
そう簡単には離れません。
自分が反対の立場に立って考えれば簡単なことです。
大変なときに助けてくれた人にこそ、恩返しをしたいと思いませんか。
お金とか打算とか関係なく、自分のことを助けてくれた人にこそ、
恩返しをしたいと思いませんか。
だったら、自分がそちらの人間になればいい、それだけのことです。
中には悪口を言う人もいるでしょう。
私が多分一番言われてきた悪口は「偽善者!」というものです。
でもね、気にしないんです。
そう思うこともあるんだなー程度のもんですよ。
別に自分の思うように生きているだけなので、
それを気に食わないと思う人も当然いると思いますしね。

さて、ただただ長くなってきてしまいましたが、
「あせる必要はない」
その理由は、しっかりと自分のことを省みつつ、
「良き道」を歩んでいくのであればきっと、
大事なことは身についていく、ということです。
正直私は、弁護士になる以前、「ガ-」っと強気で攻められたら、
自分は「うん」っていっちゃいそう、なんてことを思ってましたが、
実は今、そんな人間でもありません。
「何言ってんだあんた」ぐらいの勢いでいることもよくあります。
自分自身に言い聞かせていることですが「優しさをはき違えるな」
ということはいつも思っています。
なにか相手に強く出られたとき、
「自分は性格が優しいから、つい折れてしまう」
なんて言い訳をしていませんか。
それは、優しさではなく単なる弱さだと私は思っています。
本当の優しさは、大切な人を守り抜くこと、
弁護士であるならば、依頼者のために戦うこと。
そして、あなたの優しさが本物であるならば、
そのうち「何言ってんだあんた」ぐらいのことはできるようになりますよ。
うちの依頼者を馬鹿にしてんのか、うちの依頼者の何がわかるんだ、って感じで。
私がそうですから。

そんなわけで、しっかりと努力をすることを続けていれば、
たぶん大丈夫です。
長々書いておいて簡単な結論ですみません(笑)。

こう考えてみてはどうだろう?

みなさんは、今の自分の境遇についてどう思っていますか?
なんて不幸なんだ!って人もいれば、
とても幸せ!って人もいますでしょうか。
はたまた、別にふつーって人も。

さて、私はどうか、というところなんですが。
基本的には幸せ。
別に贅沢をする人ではないので、
もっともっと金がほしい!ってこともないし。
まあ、あったらそれはそれでとてもうれしいんですけどね!
職場や交友関係など、環境にもとても恵まれていると思います。

そんな私ですが、今、1つとてもいやーなことを抱えています。
正直げんなりです。
あまりイライラしないタイプの人間ですが、
そのことに関してはとてもイライラしています。
愚痴を言ったりもしちゃってます。

でもねー、思ったんですよ。
きっとね、これでバランスとれてるんだって。
楽しいことや幸せなことばかりでもね、
人生はきっとダメなんでしょう。
調子こいたりしちゃうし。

だからたぶん、1つくらいしんどいこと、
嫌なことがあるくらいでちょうどいい。
周りの人の優しさも実感できるし。
雨が続いたら、晴れの日のありがたみがわかるでしょ?
雨降りの日に傘を貸してもらえたら人の優しさが感じられるでしょ?
そう思えばいいかなと思います。
大事なこと忘れんなよ!って神様だか誰かが言ってるのかもね。
信仰心ないけど。

どうせ嫌だ嫌だ言ったって、
嫌なことがどっか遠くに行ってくれるわけでもないし。
だったらまあ、考えを変えてみたらどうでしょう。

そんな提案、いかがでしょうか。
人生なんて気持ちひとつですよ!
雨もいつかは晴れますからね~。

「それでも」

最近好きな歌は、FUNKY MONKEY BABYS「それでも信じてる」
ただ、「信じてる」じゃなくて、「それでも」ってのがいいなって。
つらいこと、かなしいこと、いやなこと、だけど、「それでも」っていうのが。

ある人に言われたのですが、私と私のある友人の二人について、
「二人とも素直だよねー」と。
ただ、私とその友人の素直さは異質。
年は大体一緒なんだけどね。

もともとの性格は私とその友人はきっと似ている。
人よりもいろいろなことを素直に考える。
正直すぎるというか、大体周りに「もっとずるくても…」って言われる感じ。

ちがいとしては、私は「一周まわって、"それでも"素直でいよう」と決意したこと。
友人の彼はきっと、そうではないんですね。
間近でいろいろと悩んでいる様子も見てきたので。

なんつーか、ま、私もいろいろありましたから。
以前も書いたりしたけれど、高校生の時に一度、全部嫌になってね。
一生懸命素直に生きてきた自分が壁にぶち当たりまして。
「人を裏切ったり、出し抜いたり、そういうことをしなければ人生なんてつらいだけだ」
なんてことを思って。
たくさん悩んだけれど、その結果、
「それでも」素直に生きていこう、って決意をしました。
やっぱり、それが自分の長所だし、つらくてもなくしちゃいけないこととか、
変えちゃいけないことってあるんじゃないかと思ってね。
ま、その過程にはいろいろあるんだけども。

だから、「それでも」って言葉は、なんかとっても重いなって思います。
単なる接続詞なんだけれど。
その言葉の裏にはとってもたくさんの想いがあるなって。

そして、人生の真価は「それでも」って時から始まるんじゃないかな、なんて思います。
人に裏切られたって「それでも」素直でいられること。
死ぬほどつらくたって「それでも」前を向くこと。
目の前の壁の高さに失望しそうでも「それでも」努力し続けること。

そういうことをできる人がきっとよき人生を送れるんじゃないかと。
そんなことを思ってます。
だから、つらいときに「それでも」って思って頑張れる人でいないとね。

いよいよ

明日から働きます。
希望半分不安半分。
とにかくやるっきゃないんですけどね。
忘れたくない、忘れてはいけないという思いを記録しておこうと思います。
いわゆる「きれいごと」を書きますので、まあ、不快に思われる方とか、
「へー」と小馬鹿にされる方とかいるとはいるとは思いますが、その辺は気にせず書いちゃいます。

まず、何より弁護士になろうと思った時の気持ちを大切に。
誰かのために一生懸命に働いて「ありがとう」と言ってもらえるような仕事をしたかったから。
そして、一生懸命頑張ったのに結果が出なくて自分が一番つらかったときに、
「いいんだよ。そのままでいいから、一生懸命がんばれ!」
と言ってもらえる存在がほしかった。
だったら自分がそんな存在になるんだって思ったから。
正直者が馬鹿を見る世の中だとしても、正直者が「一生懸命にやってたらいいことあるんだ」
って思うことができるような、「世の中捨てたもんじゃないんだ」って思ってもらえるような、
そんな存在になりたいと思ったから。
だから、そういうはじめのときに気持ちを忘れないように。

あとは、修習中に出会った先生から学んだこと。
金で仕事は選ばない。
その先生は国選事件だったけど、超頑張ってました。
トイレでたまたま一緒になった時に思いっきりでかい音のおならとかしてたけど、
それでもかっこよかった(笑)
素直に尊敬しました。
だから、金とか、将来の仕事につながるとか、そんなことを考える暇があったら
目の前の仕事に全力で。

そもそも私は、何かを狙って結果を出すってことは苦手なんです。
そんな自分のことをわかってるんだけど、たまに「こういうことしたらいいんじゃないか」
みたいな浅ましい考えにとらわれることがあって。
そういう時は大体失敗です。
だから、そういうときは、ちゃんと思い出して。
目の前の仕事をコツコツやって、目の前にいる人を大切にして、
そういうことで信頼を得てきたし、絆を作ってきたんだから。
そこだけは変わらずにがんばろう。

そんな具合でがんばりまーす。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。