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生きること、死ぬこと。

生きることは何?

死ぬことは何?

答えは…わかりません。

だけど、ひとつ、思うことがあります。

最近、プロレスラーの三沢さん、モデルの純恋さんが亡くなられたというニュースがありました。

少し前には忌野清志郎さん。

私は特段ファンであった、というわけではないのですが、何とも言えない気持ちになります。

岡本太郎は言いました。

「ぼくはきみの心のなかに実在している。疑う必要は一切ないさ。そうだろ。」

太郎の"恋人″、敏子は太郎の死後、言いました。

「太郎さんは"生きている″から、全然悲しくないの。」

はじめて聞いたときは正直、「んなアホな。死んでるじゃん。」

だけど、岡本太郎美術館に行って思いました。

彼の作品に触れ、彼は"生きている″と。

私の心に岡本太郎が話しかけてくるような、触れようとしているような、不思議な感覚。

そして、何度も読んだ彼の本の中の、彼の言葉は、私の人生の節目節目で心にふっと現れます。

あぁ、確かに彼は"生きている″んだなぁって、そう思います。

何が言いたいかって言うと、肉体的に死んでしまったら終わり、というわけではないということです。

なんか、宗教的なことをいいたいのではないです、あしからず。

岡本太郎や三沢さんのような有名人でなくたって。

たとえば、私の存在は先祖があってこそ。

私の母が、私を一生懸命育ててくれたのは、私の祖母が母を一生懸命育ててくれたから。

祖母は曾祖母に…。

こうやって考えると、顔も名前も知らない誰かの想いがたくさん引き継がれて、今の私があるのではないか、

そんなことを考えます。

だから、私もいつか死ぬけれど、私が誰かにあげた優しさを、その誰かが「あのとき優しくしてもらったから」

そう思って、ほかの誰かに優しくする、そのほかの誰かがまたほかの誰かに優しくする、さらにその誰かが…。
世の中って、そんなことの繰り返しじゃないでしょうか。

そう考えると、人は死んでも、私のことを知らない誰かにも、私の優しさ、

すなわち「想い」は引き継がれていくんじゃないかなぁって。

思うままに書いてきたら、あんまりまとまらなくなっちゃいました。

一言で言うと、肉体的に死んだとしても、誰かの心の中で生きていける、ということです。

それを反対から考えてみましょう。

故人を悼むのなら、その人の想いを自分がどう生かすか、だと思います。

勇気をもらったなら、その勇気でほかの誰かを勇気づける。

優しさをもらったなら、その優しさをほかの誰かにあげる。

笑顔をもらったなら、その笑顔をほかの誰かにあげる。

そうやれば、大切な人がたくさんの人の心の中で生きていけるんじゃないかなぁって思います。

だから、今日も、明日も感謝の気持ちを忘れずに。

たくさんの人に想いを引き継いでいける人生を、目標に。
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