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ほんもの

最近の自分のテーマは「ほんもの」を求めるということ。
小手先でとりつくろったものなどではなく「ほんもの」。
それがほしい。
以前も書いたことがあるのですが、大事なのは本質であり、
小手先のテクニックなど「ほんもの」の迫力の前には何の意味もないと思います。

ただうまいだけの歌に感動するか?といわれると、
一応感動はするかもしれない。
でも、本当に心が震えるような歌というのは、
へたくそでも想いが十分にこもったものだと思う。
今のご時世歌がうまい人なんてたくさんいますが、
下手な歌手でも売れている人もいれば、
うまくても売れない人もいるでしょ。
それはきっと、「ほんもの」じゃないからなんじゃないかな、
なんてことを考えています。

そんなわけで、大事なのは本質です。
テクニックなんてものは便利であってもそれがすべてではないでしょう。

さて、なんでこんなことを書こうと思ったかということですが、
最近仕事をしていて思うことがありまして。
ちょくちょく和解交渉の場でドヤ顔で「ふっかけてくる」代理人がいます。
おそらく、最初はとにかくふっかけてだんだん歩み寄らせる、
そうして高い額で和解する、
それが和解交渉のテクニックなのだよ、フハハハハ!
フハハハハ!なんてのは大げさでしょうが、
そんなこと思ってるんじゃないかと思います。
そういうことをしてくる人はえてして自分に自信たっぷりって感じの人が多いので。

で、やられた側なんですけどね、非常に不快なんですよ、これ。
代理人の私はもちろん、依頼者の方が特に不快に思われることが多いようです。
「たたき売り」みたいなことしやがって!ふざけんな!って感じですね。
で、こういうことをされると、まとまる話もまとまらないんです。
せっかくいろいろこちらも依頼者の方に説明をして、
判決をもらうよりもよかったりしますよ、なんてことで何とか説得しているのに、
こういったやり方でぶち壊されてしまいます。
だったら和解なんて応じないよ!とへそを曲げられてしまいます。

私はこれは悪しきテクニック論のせいだと思います。
確かに、和解交渉の基本として最初からギリギリのラインを出すべきではないでしょう。
ただ、そこからあまりにかけ離れた数字を出すのはどうでしょう?
心理学的には100万が30万になったらそりゃ安い、となるでしょうが、
うまくいけばラッキーみたいなことをしてくる姑息な人という印象はぬぐえません。
最初から和解をまとめる気がないなら別にかまいませんが、
そういうことをされた相手方の気持ち、そういうことを考えたことはないのでしょうか。
また、よく思うのですが、相手方の立場に立って
(もちろん対立する相手方なので完全に同情する必要はないでしょうが)
どこまでなら譲歩できるか、そういったところに思いを巡らせる必要が
あるのではないのでしょうか。
なんでもかんでもテンプレート的に小手先のテクニックを使う、
そのようなことが良いことだとは、私は思いません。

さて、本題へ。
何が言いたいかというと、テクニックはしょせんテクニックなのです。
マニュアル本にあることを読んでわかったつもり、できたつもりになってはいけない。
私は後輩に司法試験の勉強の指導をしたりすることもあります。
そのときはせっかくの機会なので答案作成のテクニック的なことも教えます。
私自身、受験生時代は知りたかったことですから。
ただ、毎回「しょせんテクニックはテクニックだよ」と
口を酸っぱくして伝えています。
ちゃんと法律論を理解していれば、小手先のテクニックなんかなくたって、
司法試験に受かる答案は書けるんです。
ただ、やっぱり私を含め、凡人はテクニックをも駆使していかないと
頭のよい人たちに対抗できなかったりするのでテクニックをも利用します。

だけど、それがすべてではいけない。
テクニックには頼るけれども、
常に「ほんもの」を追い求める姿勢をなくしてはいけないと思います。
要は使いようだと思います。

以前、反対尋問についての書籍を読んだところ、
テクニックよりもちゃんと事案と向き合い、しっかりと理解していること、
それが一番大切だ、と書いてありました。
「こう言わせて、こうして…」そういったことももちろん大切です。
でも、事件記録をしっかり読んでさえいれば、
穴が開くほど読んでいれば、証言者の供述の不自然さや不整合にすぐ気が付きます。
私自身、このことを実感したこともあります。

最近は、知りたいことがすぐわかりますよね。
そのことを否定する気はないし、便利な時代だと思います。
でも、だからこそ、地道に努力して着実に実力をつけること、
「ほんもの」を追い求めること、そういった姿勢が大切だと感じています。
器用できれいな言葉よりも、
不器用でかっこ悪い言葉のほうが感動したりすることもあるはずです。

実はこんなことを考えている理由は、私自身が不器用だったりするからです。
どうにも器用にできないんですよね、いろいろなこと。
つい器用な人をうらやましく思ったりしちゃいます。
そんなときに、不器用でも「ほんもの」が大切だ、
しっかり想いを胸に抱いてがんばろう、そうすればきっと大丈夫、
そんなふうに自分を励ましていたりします。
なんかうまくいかないなーってときも、しっかり地に足つけてがんばりたいものです。
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