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自分の気持ちは関係ない

先日とても苛立ったこと。
「相手から君の言い方が悪い」と言われ、
そういうつもりではなかったけれど、そうとられてしまったなら仕方がない、
そう思い「それだったらごめんなさい」と謝りました。
ただ、こちらがそういう言い方をしてしまったのは、
私の現在置かれている状況だとか、
日々いろいろ考えていることとか、
これまでのその人との関係性の積み重ねだとか、
そういったことがいろいろ重なりあって、
相手の本心とは異なる趣旨で聞こえてしまったからでした。

だから、ごめんなさいと謝ったうえ、いろいろ説明して、
「こういう状況だったら、そういう風にとってもおかしくないと思わない?」
ということを伝えました。
個人的には、そこで、
「そうか、だったらこちらの言い方も悪かったかもしれないね、ごめんなさい」
といってもらい、「お互い様」という形にしたかったというのが私の気持ちでした。

いや、まあ、そういう考えは甘いと言われればそれまでなんですけどね。
その人は一言も謝らずに、
「あなたの言い方が悪い、こちらはそういうつもりで言ってないんだから、
 そういう風にとる方が悪いんであって、こちらに非はない」
みたいなスタンスで話を続けられたのでした。
そんなわけで、とても嫌な気分となりました。
今もその人とはあんまり話したくないなぁ、という気分が続いています。

さて、どうしてこんな話をしたかというと、
大切なのは自分の気持ちではなくて、相手がどうとるか、
極論を言えばそれがすべてだと思うからです。

例えば司法試験は書面審査です。
よく後輩の受験生にいうのは、
「学校の成績や頭の良し悪し、これまでの努力なんてもんは関係ない。
 書面に書かれたことがすべてなんだから、しっかりと答案上に表現しなさい」
ということです。
採点者が書面だけを見て点数をつけるのだから、
「ここはこういう意図で書いたんです」なんて自分の気持ちは関係ないわけです。

少年事件なんかをやっているととくに感じるのですが、
大体は親からの「別にそういうつもりで言ってないのに」
というなにげない言葉が少年たちを苦しめたりしているということです。
私なりにいろいろと工夫をしつつ、少年たちに心を開いてもらえるよう努力をしています。
うぬぼれなのかもしれませんが、審判が終わるころには
心を開いて、私のことを信頼してくれているような、
そんな関係性を築けてきたと思っています。

今振り返ってみると、私は思春期の頃、
両親と十分なコミュニケーションはとれていなかったと思います。
どうしてかというと、結構頭ごなしにいろいろ言われてきたものですから。
大人の視点からすると当たり前のこと、当たり前にできてほしいことがあるっていうのは、
大人になった今だからわかります。
でも、一生懸命やったってそれができない子もいます。
「なんでできないの」その一言が子供を苦しめることだってたくさんあるんです。
確かに、親の言うことは正しく、人として望ましいかもしれません。
例えば、「もっと思いやりを持ちなさい」とかね。
でも、子供の立場からすると、自分なりに一生懸命やっていてもうまくいかなかったり、
自分の中でできない理由があったりするんです。
悩んでいること、気がかりなことがあって、
他人への思いやりということまで頭が回らなかったり。

ただ、多くの大人たちは、そこを聞こうとしませんよね。
筋が通るか通らないか、正しいか正しくないか、
そこだけで話をしようとする。
でも、そんなことは問題ではないんです。
話を聞いてあげる、それが大事なんじゃないでしょうか。

うまくできない子に対し、「なんでこんな当たり前のことができないの!」
といきなり叱ってしまう、そんな人が多いです。
でも、その前に、
「どうしてこの子はできないんだろう、この子なりに何か理由があるのでは?」
そう考えることはできないでしょうか。
私は、これは、「人に対する信頼」だと思っています。
「この人が理由もなく変なことをするわけがない」
そういう信頼をまずもったうえで、話をすることにしています。
もちろん、中には軽率な考えだけの人もいるでしょう。
でも、それなら、話を聞いたうえで「そんな軽率にやってはダメだよ」
と叱ればいいんじゃないでしょうか。
理由も聞かずに頭ごなしに決めつけるのはどうなんでしょう。
そして、自分がそれをやられたらどう思うのでしょう。
もうひとつ、少年を相手にするときに大切だと思うことは、
少年たちは世界が狭く、大人から頭ごなしに言われると、
「それが正しい、そうできない自分はダメなんだ」って思ってしまうことです。
実際は、そんなことないじゃないですか。
人を傷つけずにちゃんと生きていればそれで十分。
正解なんてもんはないし、考え方は人の数だけあっていいわけで。
だから、まずは受け入れて、「こういう考え方もあるけどどう?」
なんて話を時間をかけてすれば、大体わかってくれます。
少年事件をしていてこれまで何回か言われたことは
「自分は今まで誰にも必要とされないと思っていました。
 でも、今回初めて大人の人に受け入れてもらって、
 そうじゃないんだってことがわかりました。」
ということです。

多分私は、ずーっと理不尽かつ頭ごなしに怒られることが多かったし、
器用なタイプではないから、自分は絶対にまず話を聞こう、
という気持ちになったんだと思います。
不器用な人たちの気持ちをわかってあげたいなって。

そんなわけで、嫌な出来事は反面教師に。
とにかく相手がどう思うか、それを基本にしっかりとがんばりたいなと思いました。
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